TOP 柴田良治先生
 私が昭和51年(1976年)10月に漢方専門薬局を開局して、気がついてみるともう40年ほどたちました。
 この長い年月を、その時々の社会の風潮に流されることなく、漢方専門薬局として真面目に歩んでくることができたのは、師・柴田良治(しばたよしはる)先生に学ぶことができたからだと思います。
 柴田先生は、日本古来の漢方を継承する数少ない医師の一人でした。惜しくも平成5年に亡くなられましたが、先生の漢方はあまりにも幅広く、奥深いものであり、なかなか習得しにくく、残念ながら後継者は少数です。
 寿元堂薬局は数少ない正統派の漢方専門薬局として、これからも柴田先生の教えを守っていきたいと考えています。
柴田良治先生
柴田良治先生
牧野植物園(高知県)にて
(平成3年)
柴田良治先生
柴田良治先生
古典はいつも新しい
柴田先生の直筆・黙堂は号
 柴田先生は昭和23年頃、京都大学の医局に勤務の頃に漢方に興味をもたれました。
 細野史郎先生に入門して漢方を修められましたが、細野先生は漢方最期の名医とまでいわれた明治の巨頭、浅田宗伯先生の流れを汲む大家でありました。
 その後、日本東洋医学会の設立にも参加し、後に同理事、評議員等として活躍されました。
 昭和44年には、森田幸門先生の医院を継がれましたが、森田先生も細野先生同様に浅田流の大家でした。
 そうして、柴田先生の漢方は細野先生と森田先生の両大家の流儀を取り入れたものとなり、柴田流ともいえる漢方を大成したのです。
 漢方の真髄である古典を大切にし、古典から多くを学ばれた柴田先生は、「古典はいつも新しい」とよくおっしゃっていました(左は柴田先生の直筆・黙堂は号)。
 先生の処方集「黙堂柴田良治処方集」には、約千処方もの漢方処方と関連する古典の条文が収載されています。
 寿元堂薬局は「黙堂柴田良治処方集」の編集にたずさわらせていただきました。
柴田先生略歴
大正  9年 滋賀県彦根市に生まれる
昭和 18年 北海道帝国大学医学部卒業
20年 広島第二陸軍病院に於て原子爆弾に受傷
23年 細野史郎先生に入門
25年 日本東洋医学会設立に参加する
27年 京都大学講師
28年 大阪北逓信病院放射線科部長
30年 日本東洋医学会理事
35年 医学博士
44年 森田漢法治療学研究所において診療に従事
46年 漢方治療座談会会長
52年 黙堂会会長
53年 日本東洋医学会評議員
55年 「二足の草鞋(わらじ)」著
57年 第33回日本東洋医学会学術総会会頭
平成 元年 日本東洋医学会名誉会員
「黙堂柴田良治処方集」
5年 御逝去
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