リビング新聞の記事

「漢方Q&A」より

番外編・創業43年の「寿元堂薬局」とは?
 寿元堂薬局は、地区の再開発事業に伴い、6月から仮店舗に移転し、開局しています。移転作業のために、6月と7月の「続・陰陽虚実 漢方Q&A」を休み、今回から再開します。一時的とはいえ、店舗の移転を機会に、寿元堂薬局を改めて紹介したいと思います。
日本の伝統的な漢方〟一筋に研さん
 寿元堂薬局は、昭和51年に漢方専門薬局として創業して以来、43年間にわたって倉敷駅前通りで開局してきました。
 今でこそ漢方薬がある程度普及していますが、開局当時は薬草や健康食品との違いさえ分からない人が多く、医療関係者のほとんどが漢方を否定していました。
 そのような時代に倉敷で唯一の本格的な漢方専門薬局を開局して以来、日本の伝統的な漢方一筋に研さんを続けています。
生薬にまみれて品質の大切さを理解
 創業者の北山進三は、昭和48年に漢方の世界に入り、漢方卸問屋で多くの生薬(しょうやく)にまみれた毎日を送り、生薬の品質の良否をベテランの職人から教えてもらいました。
 漢方薬を扱う人のほとんどが生薬の見本などから知識を得るのとは違い、漢方薬の原料生薬の品質の大切さがよく理解できたのです。
 付属の漢方専門薬局で、大阪大学薬学部の高橋真太郎教授の愛弟子の山田実先生に漢方の手ほどきを受けました。
 漢方の応用をよく実践していた山田先生の教えで、漢方に早く馴染むことができました。
 なお、高橋先生は、猛毒のトリカブトを薬として使いやすくした「加工附子」を開発したことでも有名です。
「医は仁術」を実践された生涯の師
 生涯の師となる柴田良治(よしはる)先生に出会うことができたのもこの頃です。
 柴田先生は、日本古来の漢方を継承する数少ない医師の一人でした。
 柴田先生が主宰する研究会では、関西でトップクラスの先生方の飾らない知識と経験を間近に聞くことができ、流派を超えた先生方の知識を学ぶことにより、客観的に漢方が理解できました。
 漢方の本流をくむ柴田先生は、漢方の真髄である古典から多くを学び、「古典はいつも新しい」と言われていました。
 創業者も漢方の知識の宝庫である古典の知識を追求し、今では古典の蔵書が500冊を超えています。
 柴田先生は、今ではほとんど死語になりつつある「医は仁術」を実践されていました。先生を師と仰ぐことができた創業者は、本当によい環境で漢方を学ぶことができたと思います。
誤った先入観、多くの誤解が続く
 世間で多い漢方に対する誤解を解くために、寿元堂薬局では昭和60年からリビング新聞にコラムを執筆しています。
 平成元年には「黙堂柴田良治処方集」という詳しい処方集を編集しましたが、この頃は漢方を目指す人が多かったのか、当時の漢方専門書のベストセラーになりました。
 漢方薬の消費が増え続けましたが、理解しにくい漢方医学は、なかなか普及しませんでした。
 「風邪には葛根湯」などと、病名だけを参考にして漢方薬を使うことが広く行われ、「漢方の本場は中国」という誤った先入観のためか、中国医学を漢方と間違え、健康食品やサプリメントを漢方薬と混同するなど、漢方に対する多くの誤解が長く続いています。
漢方の伝統を守る口訣集と後継者
 「漢方って何?」と聞かれて正しく答えられる人は、今でも少ないのではないでしょうか。
 漢方と漢方薬に対する誤解を解くために、創業者は平成23年に「誤解だらけの漢方薬」を著わしました。漢方を必要とする人たちから漢方本来の価値を遠ざけないために、漢方を知ってもらうことが大切だからです。
 このコラムを掲載している岡山リビング新聞社が出版しましたが、本書によって漢方の常識を知って驚いた人が多いようです。
 今は漢方薬を扱う人は増えても漢方医学の継承者は減るばかりで、専門的に学べる場も非常にまれになってしまったので、次の世代に漢方を残すために、平成29年には「漢方処方・口訣集」(寿元堂薬局発行)を著わしました。漢方で重要な古典の資料の多くを一冊にまとめた処方集です。
 さて、寿元堂薬局もそろそろ世代交代を迎えています。後継者は創業者の次女の北山恵理です。漢方専門薬局で育ったせいか、上達が早いのが楽 しみです。
 今では寿元堂薬局の業務のほとんどを任せられますので、漢方の伝統を守っていくことができると確信しております。