明治時代に一度衰退してしまった漢方
今は、大量の漢方薬が利用されています。
しかし、昔は日本の医療を担っていた漢方が、一度衰退してしまった時代があったことは忘れられています。
明治時代に、初めて制定された医師の国家資格が西洋医学だけの試験になったのです。これは、漢方の効果が劣っていたからではなく、当時の文明開化による欧風化の勢いが強かったこと、西洋の外科医学は傷の手当てに優れ、戦争に役立つなど、社会的な諸事情によるものでした。
衰退した漢方は、極めてわずかな人々によって受け継がれ、漢方の伝統の多くが失われました。
その後、家族の難病が漢方で治癒した医師や娘を疫痢で亡くした医師による啓発など、地道な努力の積み重ねで、漢方は少しずつ広まりました。
そして、1957年に、飲みやすい錠剤や顆粒の漢方エキス製剤が市販され、薬局や薬店で取り扱われ、1976年に漢方薬の一部に健康保険が適用されて病院での利用が増え、急速に漢方薬の需要が増えたのです。
しかし、漢方薬が普及する過程では多くの問題が表面化しました。
しばらくは、漢方薬という言葉だけが広まってしまい、漢方薬ではない中国の薬や健康食品、単なる薬草や健康茶までもが漢方薬と間違われる時代が続いたのです。
そのような風潮の中で、不必要に多くの種類の漢方薬や健康食品などをやみくもに売りつける薬局が続出し、漢方薬は高価という悪評が出てきたのはこの頃です。
その後、健康保険が使える漢方薬の種類が増えると、全ての漢方薬が健康保険で飲めるという錯覚が蔓延しました。
「メーカーによる品質の違い」「煎薬と顆粒剤の効果の違い」「漢方薬の使い方による効果の違い」などを知らないで「どんな漢方薬でも、飲めば同じ効果を得られる」という錯覚のもと、大きく消費が増えたのです。
安価に健康保険で飲める漢方薬では、不必要に多種類を飲まされる人が増えたことも問題になり、後に規制されました。
ともかく漢方の認知度と漢方薬の消費量は上がったのですが、漢方エキス製剤の消費が増えたことで、漢方本来の姿はかえって世間から見えなくなりました。
少ない種類の漢方薬の製剤を安易に使うことが消費の大半を占めているため、漢方を深く学ぶ必要がなくなったのです。
このような風潮が続く現代では、漢方の伝統と本来の効果を取り戻すことは、至難のことです。
今後、漢方の伝統を学ぶ人が一人でも増えることを願っています。