先人たちが残してきた古典からの学びを大切にしな がら、その時代に合った工夫をしてさらに発展させる
現在の日本で問題となっている後継者不足ですが、漢方の世界も例外ではありません。
漢方薬の原料となる生薬(しょうやく)の生産者も含め、漢方の伝統を受け継ぐ漢方家も減少し続けており、深刻な状況になっています。
漢方は原則的に師弟関係で受け継がれてきた世界です。核の部分は一子相伝と言われることも。
寿元堂薬局の創業者・北山進三も柴田良治(しばたよしはる)先生に師事し、漢方を学びました。
今回はその柴田良治先生について、紹介したいと思います。
柴田先生は、日本古来の漢方を継承する数少ない医師の一人でした。昭和23年に京都大学の医局に勤めている時、耳下腺の腫瘍を患った頃から漢方に興味を持たれたようです。
漢方にも流派があり、古い医学書の方法論を重んじる古方(こほう)派、中国の古い思想である五行(ごぎょう)説などの理論を重んじる後世方(ごせほう)派、どちらにも偏りすぎない両派の中間をとった折衷(せっちゅう)派があります。
折衷派では、幕末より活躍し大正天皇の主治医も務め、漢方最期の名医と称された浅田宗伯(そうはく)先生が有名です。
柴田先生は、浅田宗伯先生の流れをくむ森田幸門(こうもん)先生に師事して漢方を学び、後継者となりました。
また、さまざまな漢方の研究会で講師を務め、古典に収載されている漢方薬とその使い方を広く伝えようと尽力されていました。
さらに、現在、厚生労働省による漢方専門医認定機関として認可されている日本東洋医学会の設立にも参加し、後に同理事、評議員等としても活躍されました。
柴田先生は、日本の伝統医学である漢方を大切にしてきた先生です。柴田先生が伝えた貴重な漢方処方を後世に伝えるべく、北山進三が編集した著が『黙堂(もくどう)柴田良治処方集』です。
柴田先生は、日頃から口癖のように「古典はいつも新しい」と言われていました。
漢方は経験医学です。
日々新しい発見で発展し続ける科学とは対照的に、理屈よりも結果として得られる経験を重視し発展してきた漢方においては、先人たちが残してくれた古典から学ぶことが非常に大切です。
しかし、私たちの生活環境や食生活などは変化し続けています。
柴田先生が重視されていた古典から得られることを大切にしながら、その時代に合った工夫や経験を重ね、さらに発展させていかなければなりません。