日本では徳川吉宗の時代に世界初の栽培に成功
高麗人参(こうらいにんじん)は、朝鮮人参とも御種(おたね)人参とも呼ばれ、古くから健康維持に役立つ薬草として珍重されてきました。
世界最古の薬草書である中国の「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」にも、高麗人参の薬効が記載されています。
また、中国の始皇帝をはじめ、フランスの思想家ルソーなどの歴史上のさまざまな著名人が常用していたことでも有名です。
日本に残る高麗人参の古い記録では、天平11年(739年)に渤海(ぼっかい)の文王(ぶんおう)が高麗人参30斤(1斤=600g)を聖武天皇に贈ったという記述が残っています。
もともと高麗人参は、朝鮮や中国の一部の地域で自生していたウコギ科の多年草で、根を薬用部位として用います。
朝鮮半島は日本と近かったこともあり、長い歴史を通して高麗人参は礼物、交易品として日本に入ってきていました。
健康マニアとしても知られている徳川家康も高麗人参を愛用していたという話があり、江戸時代には日本において栽培の努力がなされました。
しかし、高麗人参の栽培は難しく、容易ではありませんでした。
日本では、時代劇でも有名な八代将軍の徳川吉宗の時代に、やっと世界初の栽培に成功します。
高麗人参の栽培が可能になると、幕府は種子を各大名に分与して栽培を奨励しました。
将軍様からいただいた有難い種として、御種人参と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
その後、諸大名により栽培されるようになりましたが、現在でも栽培しているのは長野県、島根県、福島県の3県です。
ちなみに、島根県では中海に浮かぶ大根島(だいこんじま)と呼ばれる島で栽培されています。
高麗人参は松江藩の重要な財源で大変高価でした。そのため、この島で栽培している事実を隠し、大根を栽培しているのだということにして、「大根島」と呼ぶようになったそうです。
高麗人参は多くの漢方薬に配合されています。よく体を補い、消化機能を高めるので、胃腸が弱い虚弱な人や衰弱の度合いが強い人に適します。
日本の時代劇では、高麗人参があたかも万能薬のように扱われることがありますが、当時は栄養状態も悪く、病気で衰弱した体を補いやすかったので、よく効いたのだと考えられます。
栄養過多な現在において、高麗人参を単独で必要とする人はあまり多くはないようです。
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