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さりお 寿元堂薬局の漢方よもやま話

脚気の歴史が教えてくれること

ビタミンB1の不足によって起こる脚気(かっけ)は、かつて日本の国民病として恐れられていました。食欲不振や体のだるさ、手足のしびれ、むくみなどの症状が出て、最悪の場合は死に至ることもありました。

江戸時代に白米が徐々に普及し、精米によってビタミンB1を多く含む米の胚芽が取り除かれて
しまったため脚気が広がっていったのです。 

当時はビタミンの概念はなく、脚気は原因不明の病で、白米がいち早く普及した江戸に多かったことから「江戸わずらい」などとも呼ばれました。

明治時代には、脚気はますます勢いを増していきます。

明治11年、東京府は神田一ツ橋に脚気病院を開設し、漢方医学と西洋医学に治療成績を競わせました。これを「漢洋脚気相撲」と称してはやしたて、漢方医と西洋医を対照した番付表も出ていたほどです。

この病院の開設は、明治天皇の脚気治療に困った政府と西洋医側が、脚気の秘方を誇っていた遠田澄庵(とおだちょうあん)から、その秘方を公表させようとする意図が含まれていたと伝えられます。

西洋医と違って、病気の原因が分からなくても治療のできる漢方医は、適切な食事指導を取り入れて脚気を治していました。
明治天皇も西洋医の処方を振り切って麦飯で脚気を克服したのです。

この歴史は、現代で忘れがちな「理屈だけでなく経験による対応も大切」という、漢方医学の根底にあるものを思い出させてくれます。