Q 最近、漢方薬を飲み始めたので、漢方に興味を感じています。長い歴史があると聞きますが、いったいいつごろから伝えられてきたものなのですか。 (37歳・女性)
A 新年を迎え、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。今年最初のこのコラムでは、漢方の歴史について、ひも解いてみましょう。
ご質問の通り、漢方には長い歴史があり、その起源は中国にあります。日本が縄文、弥生の古代生活をしていたころに、中国で漢方医学が大成されていったと考えられています。
最も古い薬物書として有名な「神農本草経」は、後漢の時代、今から約2000年前に書かれたものです。
日本に本格的に伝わったのは、遣隋使、遣唐使の時代のこと。仏教とともに、唐の高僧・鑑真らが、最新の医学や多くの薬物を日本に導入しました。当時輸入された薬物が、今でも奈良の正倉院に保存されています。
また、日本で医書が著されるようになったのもこの時代で、日本に現存する最古の医書「医心方」の内容は、中国の隋・唐時代の医学を要約したものです。
つまり中国医学そのものを利用する時代が続いていました。
室町時代には田代三喜が明から李朱学派の医学を取り入れ、曲直瀬道三らの手によって普及しました。これが後に、日本独自の漢方医学の後世方派の起源となります。
そして江戸時代には、鎖国の影響もあって、漢方は日本独自の発展をしていきます。
江戸時代後半には、オランダ医学の長所を取り入れるようになり、ますます中国のものとは離れていくようになります。
少し詳しく述べると、江戸時代には、4つの流派ができました。
漢代の医典「傷寒論」に基づく「古方派」、金元時代の医方を主とする「後世方派」、古方派と後世方派の双方の利点を取り入れた「折衷派」、古文献の考証に重きを置いた「考証派」です。
明治以前は、漢方の全盛期といっていいほどさまざまな病気に漢方が利用されました。
もうお分かりと思いますが、わが国の漢方は、中国に起源を持つものの、わが国で独自に発展し、遣隋使の時代から数えれば約1400年の歴史を持っているのです。
しかし明治時代になると、文明開化の風潮の中、西洋医学による医師免許制度の採用によって漢方は著しく衰退しました。
今では、ゲンノショウコやドクダミを煎(せん)じる民間療法と混同されるまでになったのです。
今の日本には、現代中国の医学をそのまま輸入した中医学や、西洋医学の考え方で漢方薬を使用する方法など、さまざまなものが混在しています。
それぞれの特徴を知った上で利用したいものです。