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さりお 寿元堂薬局のここが知りたい漢方

補中益気湯ができた歴史

蒙古軍に包囲され疫病が大流行した時、
消化器系機能を重視した李東垣が、新しい発想で補中益気湯を開発


春の訪れを感じる気候になり、暖かい日が増えてきましたが、まだ朝晩肌寒い日が続いています。
このような寒暖差や気圧の変化が大きい時は、体が適応するために負担が大きくなり、不調につながることが少なくありません。

昨年末から今年にかけて、感染症の流行が目立ち、後鼻漏(こうびろう)などの鼻の症状や長引く咳(せき)や気管支炎などの相談が多くありましたが、最近は胃の不調の相談が増えてきました。

漢方では、消化器機能のことを指す「脾胃(ひい)」という言葉があります。

中国・金元時代の四大医家の一人として知られる李東垣(りとうえん)は、「脾胃は元気のもとであり、元気は健康の源である」とし、脾胃を補い元気をつけることが病気を治す根本であると考えました。
李東垣の考えは「脾胃論」や「内外傷弁惑論(ないがいしょうべんわくろん)」などの著書でも述べられており、それは後世に引き継がれ、日本でも漢方が発展していく中で影響を与えました。

李東垣の弟子が書き記した「東垣老人伝」には、体を補うことで有名な補中益気湯(ほちゅうえっきとう)が作られることになった経緯が残されています。

時は金元時代。1232年の「壬辰の変」の中で、李東垣がいた開封という場所は蒙古軍に包囲され、城内では疫病が大流行したそうです。その時、医者は当時行われていた通常の疫病の治療をして状態を悪化させ、過酷な環境下で弱った兵士たちの多くが命を落としました。

その惨状を見た李東垣は、当時の医者とは異なる観点で脾胃の働きが重要だと説き、中(脾胃)を補い気を益するという補中益気湯を考案し、後に多くの人を助けたのです。

補中益気湯は今でもよく使われる漢方薬の一つですが、李東垣は、補中益気湯のほかにも、清暑益気湯(せいしょえっきとう)、半夏白朮天麻湯(はんげびゃくじゅつてんまとう)等の漢方薬を作り、脾胃論を実践していました。これらの薬は現在でも、適切に用いれば十分に効果を発揮します。

一見、胃の虚弱さと関係がなさそうな不調でも、胃腸を整えると元気になっていくことは少なくありません。

胃の不調を補う薬は、このほかにも六君子湯(りっくんしとう)や安中散(あんちゅうさん)、加味平胃散(かみへいいさん)など多くあります。

胃の不調は漢方薬がよく効くことが多く、悩んでいる人は、漢方薬を試してみてもよいかもしれません。