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中国医学について~ 漢方あれこれ ~

漢方のルーツである中国医学はどんなものなのでしょうか。

昔は世界各地で経験医学が発生し、広大な中国でも国土の各地に医学が生まれました。

それらは時代とともに体系づけられ、周の時代(紀元前11世紀~紀元前771年)にはすでに医師の制度があったことが記録に残っています。

また、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に活躍した扁鵲(へんじゃく)という名医の伝説も残されています。

後漢の時代(25年~220年)に入ると、中国の医学は一応の完成を見ました。
当時の薬物療法の体系を著し、後世に大きな影響を与えた『傷寒論(しょうかんろん)』は、後漢の末期に書かれたものです。

ちなみに、2千年前に書かれた『傷寒論』に収載されている葛根湯(かっこんとう)や小柴胡湯(しょうさいことう)などの処方が、21世紀の今でも使われ、効果を上げていることは驚くべきことでしょう。

金・元時代(金1115年~1234年・元1271年~1368年)には、中国医学にいくつかの治療学派が生まれました。
それらの中で、後に主流となったのが、李東垣(りとうえん)と朱丹溪(しゅたんけい)という2人の医師の考え方を中心にした李朱医学(りしゅいがく)です。

李朱医学(りしゅいがく)は、元気を補うことを治療の基本にし、日本の医学にも大きな影響を与えました。

明の時代(1368年~1644年)になると、『万病回春(まんびょうかいしゅん)』や『寿世保元(じゅせいほげん)』など多くの書物が編纂され、これらには金・元時代までに使われていた薬も多数収載されており、書物を通じて多くの処方が日本にも伝わりました。

清の時代(1644年~1912年)の末期になると、中国でも西洋医学が盛んになり、中国医学はしばらくの間冷遇されました。

再び見直されるようになったのは中華人民共和国(1949年~)になってからです。

しかし、後の文化大革命(1966~1976)によって伝統的な中国医学は軽んじられ、処方の仕方が大きく変わりました。

現在の中国では、これが中医学(ちゅういがく)として利用されています。
そして、伝統的な中国医学の流れは、中国よりも台湾や韓国に残っています。