抑肝散(よくかんさん)~ 漢方薬のいろいろ ~
内容(単位/g) | 柴胡2.0 甘草1.5 川芎3.0 当帰3.0 白朮4.0 茯苓4.0 釣藤3.0 |
---|---|
適応 | 高血圧症 神経症 ヒステリー てんかん 半身不随 不眠 夜啼き 歯ぎしり |
出典 | 保嬰撮要(ほえいさつよう) |
国・時代 | 中国・明 |
参考文献 | 黙堂柴田良治処方集 |
数年前から、テレビなどのメディアで、しばしば認知症と漢方の関係が取り上げられています。
そのような番組の中で特によく取り上げられている漢方薬が「抑肝散(よくかんさん)」です。
そして最近は、抑肝散が認知症のさまざまな症状を改善する効果があるということが強調されています。
平均寿命の延長、高齢者数の増加、高齢化するスピードの速さなどで、世界一の高齢化をはたした日本の社会では、抑肝散の効果が注目されないはずはありませんし、飲む人も増えてきました。
しかし、メディアを通じて話題になった漢方薬は過去にいくつもありますが、ほとんどのケースで一時のブームの様相を呈しただけです。
抑肝散はどうなのでしょうか。
抑肝散(よくかんさん)とは
抑肝散は、中国の明の時代(1555年)に編纂された小児科の書「保嬰撮要(ほえいさつよう)」に載っています。
「保嬰撮要」は、薛鎧(せつがい)と薛己(せつき)という共に名医の父子によって編纂されました。
さて五行説では、五臓のひとつである肝の気が亢ぶって興奮するとひきつけなどもおこしやすくなると考えます。
その肝の気を抑えて、鎮静させるところから抑肝散と名づけられたようです。
そして、抑肝散は小児のひきつけや、いわゆる「疳」が高い症状の治療に使われていました。
日本に伝わった抑肝散は、「保嬰撮要」の成立から百年下った1655年の書「捷径医筌(しょうけいいせん)」や江戸時代の代表的処方集「古今方彙(ここんほうい)」(1745年)などには、小児科の薬として載っており、「保嬰撮要」の文章がほぼそのまま掲載されています。
その後、小児の疳(癇)だけでなく、大人の癇証(かんしょう:怒りっぽい、イライラとして急ぐ、物事にこだわりやすい、亢奮して眠れないなどの症状)を抑え、治すためにも使われるようになりました。
抑肝散の使い方
抑肝散の使い方について、漢方が全盛だった江戸時代から明治時代初期にかけての古典の中から、名医の先生方の秘伝の口訣を探してみましょう。
福井楓亭(ふくいふうてい:1725~1792)先生が残された「方読弁解(ほうどくべんかい)」という書には、大人の病気の項にも小児科の項にもそれぞれ載っており、どちらにもまず「大人小児共に虚症の癇に用いる。」とあります。
虚症というのは虚弱の症状ということなので、虚弱傾向の人に使われたものです。
1847年に著された目黒道琢(めぐろどうたく)先生の書「餐英館療治雑話(さんえいかんりょうじざつわ)」には「生まれつき至って虚弱の小児は、顔色と身体の色がずいぶん白く、少し怪我しても出血することがない。…抑肝散を毎日続けて長く飲むべきだ。」「怒気が強く、気が短くてせっかちなどの小児は、… 抑肝散を長く飲むべきだ。」「虚弱児で、ときに発熱することがあり、或いは常に睡眠中に歯ぎしりするものは、抑肝散を飲むべきだ。」などの記載があり、小児に使う薬として取り上げています。
1853年の有持桂里(ありもちけいり)先生の著「方輿輗(ほうよげい)」には、「精神錯乱、驚いたり恐れたりして動悸をうつ症状、不眠、健忘の症状にも … 逍遥散(しょうようさん)、抑肝散などの類が広く用いられている。」と書いてあり、この書ができた当時には、年齢に関係なく広く使われていたことがわかります。
また、大柴胡湯(だいさいことう)や小柴胡湯(しょうさいことう)のように実証(充実または勢いが強い状態)に使う薬と同じような使い方をしていたことが述べてあります。
浅井貞庵(あさいていあん)先生が「古今方彙」の解説書として著した「方彙口訣(ほういくけつ)」には、今でいう「中風(ちゅうぶ)」のもとになった漢方の病名「中風(ちゅうふう:卒中のこと)の中に、「抑肝散を用いて癇癪を弛めて治る中風がある」ことが述べられています。
江戸時代末期から明治時代にかけて活躍され、漢方最後の名医といわれる浅田宗伯(あさだそうはく)先生は、「勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)」の中で、「半身不隨や不眠症に抑肝散を使うときは、みぞおちのあたりに引きつりや動悸があってみぞおちがつかえる感じがする人に、怒気があれば効かないことはない。」と述べています。
そして、大塚敬節(おおつかけいせつ)、矢数道明(やかずどうめい)、清水藤太郎(しみずとうたろう)という昭和の漢方を代表する先生方によって1969年に著された「漢方診療医典」には、次のように述べられています。
神経症の項では、「刺激に興奮しやすく神経過敏で怒りやすく、いらいらして落ちつきのないものに用いる。不眠のあるものにもよい。腹証上では、左の腹直筋が緊張しているものを目標にするが、必ずしも、これにかかわる必要はない。」、小児の夜驚症・夜啼症の項では「あばれたり、怒ったりするものによい。」
これらのことからわかるように、抑肝散を使うためには怒気が強いということが大きな目安になります。
怒気が強く、些細なことでよく怒ったり、あばれたりする状態を改善するのです。
普通は虚弱傾向の人に用いますが、丈夫な人に使われることもあります。
「漢方診療医典」では、「癇症、神経症、神経衰弱、ヒステリーなどに用いられ、また夜啼、不眠症、癇癪持ち、夜の歯ぎしり、てんかん(癲癇)、不明の発熱、更年期障害、血の道症、四肢萎弱症、小児麻痺、陰萎症、悪阻、佝僂病、チック病、脳腫瘍症状、脳出血後遺症、神経性斜頸などに応用される。」としています。
認知症の症状と抑肝散
認知症は年々増加し、また高齢になるほど発症しやすくなり、現在では85歳以上の高齢者の3~4人に一人が認知症だといわれています。
認知症の症状はさまざまです。
今言ったり聞いたりしたことを忘れて、何度も同じことを言ったり聞いたりしたり、今日の日付や今いる場所がわからなくなったり、何かを行っている途中に、次は何をすればいいのかわからなくなったり、ものごとを判断することが難しくなって、暑い真夏でもセーターを着たりします。
そのほか、妄想、幻覚、徘徊、攻撃的行動、睡眠障害、意欲の低下などがおこることもあります。
それらの症状の中で、ささいなことで怒ったり怒鳴ったり暴力をふるったりするような攻撃的な行動が強い状態に抑肝散がよく奏効します。
そして、そのような症状がめだつ人が抑肝散を飲むと、攻撃的な行動がおさまるだけでなく、その他の症状が改善されることがあるのです。
しかしながら世間では、認知症であれば誰にでも抑肝散が効果的だという、間違った思い込みが多いようです。
抑肝散と抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)
抑肝散に陳皮(ちんぴ)と半夏(はんげ)を加えたものを抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)とよびます。
前述の「漢方診療医典」の薬方解説では「抑肝散は … 虚証の小児が脳神経の刺激症状を発生したものを鎮静させる効があり、… 本方すなわち陳皮、半夏を加えたものは転じて成人特に中年以後の更年期前後に発して神経症状が著しく、全体に虚状を呈し、… 」とあります。
本来、抑肝散は子供の薬、抑肝散加陳皮半夏は大人の薬として使い分けられることが多かったのでしょう。
現在は、年齢の区別なく使われますが、抑肝散が適する状態よりも虚の度合いが強い場合や胃の弱い人に抑肝散加陳皮半夏がよりよく奏効します。
しかし、顆粒剤や錠剤など漢方製剤の世界では、二つの薬の内容の差にあまりこだわることなくほぼ同様に扱われ、抑肝散よりも抑肝散加陳皮半夏の製剤がよく使われ、効果を上げてきました。
そして、某大手漢方薬メーカーが抑肝散の宣伝をはじめてからは、抑肝散のイメージだけが多くの人に植え付けられるようになり、「風邪には葛根湯」などと同様に、「認知症には抑肝散が効く」といった、安易な使い方が増えたような気がします。